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見つけた。と思った瞬間


頭で考えるよりも先に、身体が勝手に動き出して

気がついたら奴を蹴り倒していた

六月八日、始まりの日
 

「ここが星彩学園か」


都心から電車で二時間弱の郊外にある、東京ドームがゆうに数個入るほどに広い敷地。その入り口と思われる豪奢な門は、見上げてみると驚くほど高い。


その奥には校舎と思われる大きな建物が並び、見える範囲内でも中庭に噴水、煉瓦で飾られた道の要所要所に置かれた彫刻達、どれをとっても目に飛び込む全てのものが洗練された美しい造形となっていて、知らない人間は一目見ただけではここが学校であると到底思いもしないだろう。


これでいて学費は通常の都立高校と大差ないのだから、今時流行らない全寮制男子校であるにも関わらず入学志願者が後を絶たないのも頷ける。


ここに着くまでの道すがら、入学案内には一通り目を通しているので当然知識としては知っていたのだが、実際目の前にしてみるとそれはとてつもない学校だった。

(ここにアイツがいる)

入学案内を片手に門前に佇むこの少年は、一見女の子に見違えるような実に中性的な面立ちで、学ランを着ていることからようやく男であると判別がつく程に小柄で華奢でもあった。


そんな彼によく似合う黒髪が、ふわふわと初夏のそよ風に揺れている。これからこの場所で起こると思われる事柄への期待と不安からか、少し汗ばみ震える手をぎゅっと胸の前で拳に固めていた。


「あの野郎、絶対に一発ぶん殴ってやる」


桜色の薄い唇から静かに零れたその台詞は決して穏やかなものではなく、きつく握った拳を勢い良く前に突き出し「よしっ!」と一つ覚悟を決めると、彼はここ、星彩学園の敷地内へと足を踏み入れるのだった。

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さて、


先程の少年が門をくぐってから数分後

「ふあぁ~…ぁあ~…」


そこには同じ門の下、呑気な様子でのらりくらりと大あくびをしている一人の学生の姿があった。こちらは先程の少年とはうって変わってまた体格がしっかりとしており、学生服を着ていなければ社会人とも思える風貌である。


「徹夜麻雀なんかに付き合わされたせいで遅刻だ遅刻。ついでに無断外泊だからなぁ。あー…あったま痛てぇ」


などとブツブツ言いながら、至極かったるそうに肩と首をまわしている。こきん、こきん、と間接の鳴る音が周囲に小気味良く響いていた。


「言い訳、考えておかないとな…」


一つ大きな溜息を吐いた彼は今にも自室に引き返したくなる憂鬱な気分を変えようと、その短い黒髪をガシガシと力一杯掻き混ぜつつ、まるで自分の家の庭を歩くかのように不躾に、無遠慮で、重たい脚を進めたのだった。

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「一体何なんだ、この学校は」


先程の少年こと笹本三月は現在、中庭のベンチで一人項垂れていた。時計を見ると時刻は午前九時二十六分。それなりに急がないと二限の授業にすら間に合わない時間だ。


「この遊園地並の広さ…もう訳分かんねぇ。つーか一年の校舎何処だよ!そして俺は今何処にいる?!」


ぐわっ!と、三月が空に向かって吠える。


そんな彼の今の風貌は、先程門前に居た時と180度に及ぶ大変身を遂げていた。


風にふわりと靡いていた細く柔らかい黒髪は、ハードタイプのワックスできっちり七と三に分けて固められており、着崩してした学ランは第一ボタンまでぴったり締められ、細い首元とはいえ些か窮屈そうな印象である。


トドメと言わんばかりにインパクトがあるのは、その小さい顔に実に不似合いな大きい黒縁眼鏡。レンズは牛乳瓶の底のように分厚く、彼の大きな瞳は物の見事に霞み歪んで映ってしまい、その姿は別人の域だ。

 

高校一年生にもなって、どうしてこんな仕様もない変装なぞを強いられるのか。

主な原因と言えば、彼自身の過去の行いによる皺寄せのようなものであり、それは完全なる自業自得であるのだが…。人目を惹きがちな外見を隠し、善良なる一般生徒の一人として慎ましやかに勉学に勤しむ事。これが星彩学園への転入を許す代わりとして、厳格な父親から提示された条件であり絶対厳守の約束事であった。


「今時、こんな格好の方がよっぽど悪目立ちする気がすんだけど…」


改めて今の自分の格好を見下ろし、はぁ…、と一つ溜め息を落とすと、突然何かを決意したかのようにひょいっとベンチから立ち上がる。


「このまま二限も耽っちまおう」


はてさて、この三月という少年はどうにもこうにもマイペース過ぎる節がある。


「案内図見ても現在地すら分かんねぇんだし仕方ないよな。さっきの正門付近をぶらぶらしてりゃ、その内に誰か通るだろ」

その上、他力本願でもあるようで…。門前でグッと見せていた覚悟とは、一体何だったのか。


来た道はどっちだったっけかな、などと呑気にキョロキョロと辺りを見渡しながら、中庭の角を曲がろうとしたその時…

「わっ!?」

「ぶっ!!」

突如として目の前に現われた大きな何かにぶつかった三月は、派手な音を立てて尻餅をついた。不意打ちだったものだから受身など取れるはずもなく、尾骶骨を打ちつけたあまりの痛さに眼鏡の奥ではうっすらと涙が浮ぶ。


「ーー痛ってぇ、どこに目ぇつけっ」


つい条件反射で口調が荒くなってしまった三月であったが、ここまで言葉を発した時点で目の前にいる人物の姿をはっきりと認識出来たようで、そのままピタリと動きが停止した。


その視界にあるのは星彩学園の制服である白いブレザー。


この時点で相手がここの在校生であると確定である。


更に、着けているネクタイの色は緑色。


星彩学園では学年別でネクタイの色が違うのだが、一年は赤色、二年は緑色、三年は青色となっているのだと入学案内に書いてあった。ということは


(上級生!?)

 

これはまずい!と、冷や汗が一気に噴き上がる。まさか転入初日から上級生と揉め事など起こすわけにはいかないのだ。父親のあの口振りからして、在学中に何かしら問題を起こしてしまったら即刻家に連れ戻されるのが確定である。


想定外の事態にどう動いたら良いのか分からず、黙って座りこけている三月の眼前に、スッと手のひらが差し出された。


「大丈夫か?」


「え…と。あ、はい」


絶賛混乱中の脳みそはその手の意図を汲めず、辿々しい返事だけをなんとか返し呆けていると、ぐいっと強い力で腕を引かれ、三月自身は何の力を入れずとも気がついた時にはすでに地面に対して両足で立たされていた。


「悪かったな。いや、まさかこんな時間に人がいるなんて思わなかったから」


極めて申し訳ないという顔をしながら、上級生はパッパッと頭や背中についた土ぼこりを払ってくれる。


「その格好、もしかして見学生?」


白ブレザーの学園内で黒い学ランなど、普通に考えたら他校生であるのは一目瞭然というものだ。三月はその問い掛けに、何故だかしおらしく首を横に振る。


「あ…と、今日からこの学校に転入することになってるんですが、その…事前に訪れたことがなくて。一年の校舎がどこにあるのか分からない…んです」

落ち着いてふと思えば相手は自分に対して悪意の無い、見ず知らずの上級生。

 

きっかけはあれであったが、初対面の人間が自分を認識して言葉を投げかけ、会話を、返事を求められているという現状に、自身が極度の人見知りであることを思い出した三月の声は、最初の威勢はどこへやら。今では蚊の鳴くような小さな音となっていた。

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