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「はい、到着」
上級生に案内されて着いたその場所は、紛れもなく自分の目的地である一年の校舎であった。いや、そうはいってもここが校舎なのか三月は知りもしないのだが、入り口の柱の看板に『星彩学園高等部一学年校舎』と確かに書いてある。
(実はめちゃくちゃ近かったのか)
徒歩五分の位置にいて目的地を見つけられない方向感覚。やはりこれは才能の域に達しているな、などと自身の方向音痴に斜め上の感心をしていると、上級生は「じゃあな」と手を挙げ早々と今来た道を戻ろうとするので、三月はその背中に慌てて声を掛けた。
「あ!あのっ…、わざわざ…親切に有難うございました」
「こんだけ広いんだから最初は迷って当たり前だって。早く慣れるといいな、転入生」
上級生は顔だけ振り向き、やんわりとした微笑みを残して建物の陰へと消えていった。
その笑顔はとても透き通っていて涼しげで、そして何故だか理由はわからないがどことなく懐かしくて、一瞬ぐっと息が詰まり頭の中が真っ白になる。
(こんな感じ、前にどこかで…?)
特筆するような女顔でも美形でもない極々一般的な男子学生に対して綺麗というのは、どこかおかしい表現であるのだろうか。あの瞬間、あの微笑みに、ただただ素直にそう思い、体を駆け巡った感覚というのは言葉にするとどうしようもなく、安っぽくなってしまうのだった。
ざわざわ…ざわざわ…
木々が六月の暖かい風に揺られて音をあげている。
葉を優しく撫で、三月の頬を撫で、過ぎ行く風にふわりと混ざる名も知らぬ花の香り。
その風景に、感触に、なにやら記憶の片隅がくすぐったい。
「なんというか…、稀なほど爽やかな奴だったな」
心の声とは裏腹に、実際その口をついて出た言葉は厭味ったらしく可愛げが無いもので。
三月は意味も解らずふわふわする気分を頭を振って吹き飛ばし、踵を返して校舎へと向かった。
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校舎に入るとすぐの廊下に『職員室』と書かれたプレートを発見したので、軽くノックをしてからそっとドアに手を掛ける。
「すみません、今日付けで転校してきた笹本なんですけど…」
中にいる職員達を右、左、と見渡しながら遠慮がちに声をかけると、窓側に座っていた男性が三月に気付き、机上の書類を片手にこちらへと歩いて来た。
「おぉ!ようやく来たか転入生。何の連絡も無かったから途中で事故にでも遭ったんじゃないかと心配したぞ」
「あ、えーと、駅からこちらへ向かう途中で…道に迷ったお年寄りを助けまして。最寄りの交番まで連れて行ったり…、なんだかんだでこんな時間になってしまって」
すみません。と肩を落とし、全力で気落ちした風を装い平然と嘘を吐き出す。まさか転校初日から寝坊したとか、こそこそ着替えをしていた挙句敷地内で迷子になっていた、などと正直に言える訳が無い。
「そうだったのか、慣れない土地で立派だったな。無事なら良いんだ。俺は現国教師兼、君のクラスの担任をしている相馬慶太。これから一年どうぞよろしく」
そう言ってにっこりと笑う担任は、まだ三十代そこそこといったところであろう。実に人当たりが良さそうで安心した。
軽い挨拶に引き続き、相馬と入学手続き書類の提出やら内容確認を行っていると
キーンコーンカーンコーン
豪華な見た目とは裏腹に、至極平凡なチャイム音が建物内に鳴り響く。
「ちょうど次は現国なんだ。授業の前に自己紹介させるからな、ちゃんと挨拶考えておけよ」
ニコニコしながらそう言うと、相馬は三月の連れ立って職員室を後にする。
教室へと向かう道すがら、三月は一つ確認したい事があったのを思い出した。
「相馬先生、ちょっとお尋ねしたいんですが。この学校の一年に『柑原壱岐』って生徒がいますよね。その…どこのクラスか分かります?」
問いかけに相馬は「あぁ」と頷く。
「柑原なら同じクラスだぞ。我が一年C組だ。なんだ、知り合いなのか?」
「あ、はい。まぁ…そんなところです」
三月はあまり詮索はされたくないので上辺だけ、何でもないようにニコッと笑って見せて早々に会話を切り上げた。
この『柑原壱岐』についてだが、彼は三月の中学時代の同級生兼友人であり、三月が探していた人物がこの学園にいるという情報をくれた人物でもあった。
ちなみに三月は中学時代、思春期や家庭事情も相まってそれはもう相の当に荒れており、サボりに喧嘩に居眠り三昧という自暴自棄で怠惰な日々を過ごしていたのだが…。壱岐は三月が起こす問題にいつも巻き込まれつつ、その度に諸々の隠蔽工作や後始末に明け暮れ、実に苛酷な中学三年間を送った苦労人でもある。
また、三月はこの中学時代に起こした数々の悪行が祟り、現在要らぬ苦労を強いられてしまったということは言うまでもない。本人は不満だらけなようであるが、自業自得なのだ。
1-C 教室
「おーい、みんな席に着け!お待ちかねの転入生が来たから、二限始める前に紹介するぞ」
相馬が大きめの声でクラス中に呼びかけると、ガヤガヤうるさかった教室内が少しずつ静かになっていった。
「よし笹本、入れ」
中に入るよう促された三月は、緊張からかやたらとバクバクする胸を押さえると、黒板の前まで歩いて行き一礼する。なるべく人は視界に入れないようにして、ふぅ、と一息吐き出すと、カッ!カッ!カッ!!と迷い無いチョークの音が静かな教室内に響き渡った。
「えーと…、笹本三月です。よろしく…お願いします」
そこにはこれまで見てきた彼の性格からはとてもじゃないが想像がつかない、美しく整っている文字が書かれていた。
クラス中の視線が自分に集まる中、遠慮がちにぺこりと、もう一度頭を下げる。
この笹本三月、慣れ親しんでる相手に対してはどうしようもなく口も性格も悪いのだが、先程もあったように、どうにも人見知りが激しい節が見受けられるようで、これは典型的な内弁慶というものであろうか。
「笹本は歴代編入試験受験者の中、なんとトップの成績でうちへの編入が決まった優良生だ。仲良くしがてら勉強を見てもらうように!…さーて、じゃあ席なんだけど」
そう言いながら相馬はざっと教室内を見渡す。
「柑原は居るか?」
「ふぁーい、居まーす」
一番奥の窓際の席に、ひらひらと揺れる手だけが見えた。
「お前笹本と知り合いなんだってな?せっかくだから席、そこでいいか。ついでに教室移動とか校内案内とか、慣れるまで笹本の面倒を見てやってくれ」
その相馬の一言に
「「え゛っっ…」」
三月と壱岐の不服そうな声が同時に重なった。
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「その…、僕の為に急に席変えさせられて…どうもすみません」
三月が申し訳なさそうに頭を下げる相手は壱岐の隣の席だった生徒。短めの黒髪、シャープな顔立ちが全体的にすっきりとした印象を与える。
「いいって、気にするなよ。俺は玖珂佑。佑で良いよ。よろしく」
「ありがとう。それじゃあ…佑。僕のことも三月、でいいから」
ほのぼのと二人が話をしている横では、それを見ていた壱岐が微妙な表情で盛大に溜め息をついていた。
「あーあー、相変わらず大層な猫被り、というか人見知り」
授業中という事もあり、会話もそこそこに佑は机の中身を手早く片付けると新しい席へ行ってしまったので、三月は壱岐の隣へ静かに腰を下ろした。
「さよなら俺のまったり高校ライフ。おかえりなさいデンジャーライフ」
「僕に文句でもあるの?なんて。卒業式振りだな、壱岐。元気そうで何より」
「はぁ、元気そうで何より…じゃないよもう。昨日のメールでまさかとは思ってたけど、ホントに来ちゃうんだもんな。そんな格好までして」
嫌そうな顔全開の壱岐に、周りには見えないよう眼鏡を外してにっこりと微笑みかける。
「どうだ、コレ」
眼鏡を元の位置に戻し、自分自身を指差して問いかける。
「はいはい、カンペキ完璧。その更正っぷり、見た目だけとはいえ中学ん時の先生達に見せてやりたいね。絶対咽び泣いて喜ぶよ」
壱岐はオーバーに肩をすくめてみせた。
「見た目だけじゃない。これからは一応、ちゃんとやってくつもり。いつまでも子供じゃいられないからな」
「ほっえぇぇ、お前の口からそんな殊勝なセリフ聞ける日が来るなんて。槍でも降るんじゃないか?」
「うるせぇな。俺にも色々あんだよ」
それと同時に、「授業始めるから、教科書開けー」と相馬の声が響く。一時騒がしくなった教室内がまた静かになり、教科書をめくる音や筆記用具を出す音があちらこちらから聞こえてくる。
「なぁ壱岐。アイツが、ここにいるんだよな?」
黒板からは目を離さず、聞こえるか聞こえないかの小さな声で話し掛けたのだが、隣からはちゃんと反応が返ってきた。
「いるには、いるね。すぐ会えるかどうかはわからないけど」
壱岐のその一言。
いるのに会えない?どういうことだ?
三月は訝しげに首を傾げた。
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「はぁ…」
ようやく、長い一日が終わった。
のだが、壱岐は部活動があるからと薄情にもさっさと教室から立ち去ってしまったので、今現在三月は一人で広大な敷地内をフラフラしている。
「壱岐の奴、俺が方向音痴だって知ってるくせに」
この学園は様々な分野において何かしら一芸に秀でた生徒たちが集められている。壱岐に関しては吹奏楽枠の特別推薦で入学しているので、学業よりも部活動の成績が進級や卒業に響くということもあり、放課後三月に道案内などしている時間はない。仕方がないといえば仕方がないのだった。
ブツブツ言いながらかれこれ40分は歩いているが、一向に学生寮らしき建物にたどり着けずにいる。
「ここにいる、か」
さっきから、もう何度同じ事を呟いただろう。ふと立ち止まって空を仰ぎ見る。
厚いレンズの奥、黒い瞳に映る初夏の日の光は柔らかさと鋭さをあわせ持っていて、その眩しさに思わず目を細めた。
「なんで今更、こんな阿保みたいなことしてまで、会いたいんだろうな」
誰に聞いても、どこに行ってしまったのか教えてはもらえなかった。
それでも手紙くらいは届くだろうと、毎日毎日、郵便受けを覗くのが日課であった。
(馬鹿だな、俺は)
自分は不要になり、見捨てられてしまったのだと。
ふと気が付いた時にはその悲しみは怒りへと変わっていて、鬱屈とする気分をなりふり構わず喧嘩で晴らしていた。つい最近、たったの数か月前まで自身はそんなにもくだらないことを当たり前としていたのだ。
(急に、普通のようには振る舞えないかもしれないけど…)
三月は深い思考の海に沈んでいたのだが…
「きゃーっ!!」という突然の歓声に、現実へと引き戻される。
「な、なんだ?…ここ、男子校だよな?」
まるで男性アイドルに群がる女の子達が発するような黄色い歓声に驚きつつも、とりあえず声のする方へと足を運んでみた。あれは三年の昇降口だろうか。
そこには学年を問わず、男とは思えないくらい可愛らしい容姿をした生徒達が、綺麗にラッピングされた袋を持って群がっていた。
(…あれって、みんな男!?…やっぱり男子校ともなれば乙女系男子って実在するのか。ああいうの、ドラマの中だけの存在かと思ってた)
三月は初めて目にする異様な光景に多少引きつつも、関心を抱いて頷いた。
しかし、こんなにも可愛い(よく見るとガチでムチなタイプもちらほらいるのだが)男子生徒達がこうまで夢中で追っかける人物というのは、一体どれほどの人物なのであろう。
(この学校に芸能部門は無かったはずだけど…)
あれやこれやと脳内で勝手に想像をしていると、黄色い歓声が一際大きく辺りに響いた。
どうやら皆がお待ちかねの人物がやって来たようだ。
自分の脳内想像がどれだけ的中しているか。何と無しに湧いた興味から、ヒョイと脇の段差に飛び乗って人混みの中心にいる人物を窺う三月であったのだが…
その顔を確認出来た瞬間
「っ!!」
周りの音が一切聞こえなくなった。
見間違うはずがない。
その視界がセピア色に変わる。
全てが古ぼけた世界の中。
困ったように笑っているその人だけが鮮明に色づいて。
永遠とも錯覚できる一瞬の中。
自分の心臓の音だけが耳元でやけにうるさく聞こえていた。